北海道・旅の記録(2002年)

2002年8月2日(金)〜10日(土)・本年第3回(通算第28回)
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  ■ 第四日目/8月5日(月  初山別〜築別〜苫前〜羽幌〜遠別〜音威子府〜仁宇布〜興部
  天気:午前晴れ後曇り、午後一時雷雨後曇り

  ◆みさき公園

   6時、みさき公園のキャンプ場と天文台の周囲をひとまわり。若干雲はあるが非常に良い天気の中、キャンパーさんは食事の支
  度、お連れの犬の散歩など思い思いに時間を過ごしている。朝風呂までの時間を散歩にあてているE氏と自分は宿の浴衣姿なので、
  なんとなく違和感がある。それに気づいたのでさっさと宿に引き返したのだが、正面入口の自動ドアが外から開かずなんとか見つけた
  従業員入口から宿の中へ帰還したのであった。こんな点も、この宿の「う〜ん」と唸ってしまう困った点である。
   今日はいったん羽幌の山中や苫前の南奥まで下がってから再度北上しオホーツク海側に向かう計画である。また長い移動である。



 【本日の行程 (:出発地、:宿泊地、:ポイント)

     
  ◆ 羽幌・築別炭鉱

   時に宿を出発。今回の旅の大目的でもある羽幌・築別炭鉱探訪に向かう。初山別からR232を一路南下する。途中国道横に
  国鉄・羽幌線の陸橋遺構を発見し写真に収める。この種のものは最近撤去が進んでいるので見れるうちに見ておく必要がある。
   築別で左折し、道道356号・築別炭鉱築別線に入り築別炭鉱に向かう。沿道にはポツポツを農家がある程度で人口密度は極端に
  低いが、気がつくと前方に立派なバスが1台先行している。さては物好きな観光ツアーが廃鉱見学か?などと自分達のことはしっかり
  棚に上げて憤慨していたが、よくみると羽幌町の過疎地向け巡回バスであった。それにしてもこんな奥までまだまだ人がいるのものか
  と感心してしまった。もっともそれ以外に車はいないと思っていたのだが、他に我々と同じ目的と思われる「わ」ナンバーを1台確認。

   以下、炭鉱訪問の顛末は別頁「旅行記特別編」へこちらへ(別ウィンドウが開きます)

                   
                                           
                                     写真上:旧羽幌線の陸橋遺構(於・初山別)

 


【復元家屋に襲いかかる羆! 結構リアル】

復元家屋内部は⇒こちらへ
  ◆ ベア・ロードを行く・・・苫前町
  
 幌・築別炭鉱あとに、道道747号上羽幌羽幌線から道道437経由で苫前町
内へ入り古丹別から道道1049号・苫前小平線で苫前町の奥に向かう。
 目差すは吉村昭氏小説「羆嵐(新潮文庫)」で知られる日本最悪の熊害事件
である「三毛別羆事件」の復元現場である。 事件の概略は吉村氏の小説及び
下の写真(↓)を参照していただきたいが、余りの羆の猛威に旭川の陸軍歩兵聯
に出動命令が下るというところまでいった事件である。事件現場は大正初年に
こんなところまで良くも入植していたなと思わせる奥地である。苫前町は観光資源
が少ないのか、この現場に至る道を「ベア・ロード」と称して売り出しており沿道
には熊の絵の案内板が目に付いた。だがわざわざ観光ツアーが来るようなところではないのは勿論である。
 しかしライダーや北海道通には相当知られてきており、我々に先行してバイク
1台、後に車2台がやってきた。現場までの道道は快適な舗装道路だが最後の
1kmほどが木立に囲まれたダートになっており、非常に雰囲気を盛り上げてくれ
る。「いかにも出そう」な感じになってくると現場に到着。復元家屋と巨大熊(立派
ハリボテで下半身は無いらしい)が向かえてくれる。厳冬の時期にはこの家
屋でどうやって暮らしたのか?という程のつつましい明治に開拓者の家であった。
 最後に犠牲となられた方々の冥福を祈りつつこの地を後にした。


 

【三毛別羆事件の顛末】
          
  ◆ 音威子府の黒い蕎麦
 
   二大目的の探訪を果たした我々(E氏は特に感慨は無いようだが)はこれか
  らオホーツク海側まで抜けねばならず前途はまだ先が長い。上(↑)の行程図
  でもわかるように最短距離のルートを取れば苫前から東に向かうR239を利用
  するのが順当であろう。が、本日の宿泊地・興部のさらに北側に「目当て」があ
  るため、敢えて遠回りになる北廻りルートをとってオホーツク海に向かう。
   その「目当て」とは既に何度も食べている「JR宗谷本線・音威子府駅の立食
  い蕎麦」である。R232を遠別まで北上し「道の駅富士見」に寄りなかなか美
  味な「ソフトクリーム」を味わった後、道道119号遠別中川線で東進し佐久で天
  塩川に平走するR40名寄国道に合流。 このあたりから大気の状態が不安定
  化し強烈な雷雨模様となる。交通量の多いR40を慎重に前進して音威子府駅
  前に到着したが、「豪雨」が最高潮に達したため暫く車中で待機して駅舎に走
  り込むことができた。久しぶりの「黒い駅蕎麦」は相変らずの美味であった。
   【写真右:音威子府駅の「かけそば」】
  


2002年のトロッコ入国管理事務所
  ◆ 美深〜仁宇布・トロッコ王国
  
  音威子府からは使いなれたルートで興部まで向かう。美深から仁宇布方面に
 向かえば昨年、一昨年と訪問している「トロッコ王国」がある。本来トロッコの
 爽快な走りを体感したいところだが、今にも雨になりそうな空模様であり、時間
 の制約もあって今回は乗車を断念し周囲の観察だけに留めた。
  毎年訪問者(入国者数という)も増加し設備も改善が加えられているが今年
 は相当に変化があったようだ。
  @駅舎(入国管理事務所)の増築(写真左:入口左側が増築部分
  Aトロッコの増備(2階建車両の登場)
  B終点地点の若干の延伸と「ポイント」の新設
  C線路周辺の木々の伐採(見通しがだいぶ良くなった)
  D終点でのトロッコ車両の方向転換方式の劇的改善

  (2001年の模様→こちら、2000年の模様→こちら ※なおトロッコ王国の
   変遷については別にまとめる予定)
 
  ◆ 仁宇布〜雄武〜興部
  
   仁宇布からは峠越えで雄武町まで移動。途中の峠道で強烈な雷雨となり視界も1メートル前後となる始末。ほとんど通行量の無い
  道道を走っているが危険防止のためなんの工事か判らない現場の駐車スペースへ一時退避。泥道の駐車スペースは「川」状態で車
  が流されるかのような錯覚さえ感じる大豪雨。小降りとなったところで前進再開。
   途中何件もの廃屋を見ながらすすみ雄武町共栄付近でR238号に入り今回始めてオホーツク海を見る。曇天である。そのまま南下、
  進行方向左手岬台上にそびえるホテル日の出岬(オホーツク温泉)で立ちより入湯。→こちらへ
   比較的空いる中じっくり湯浴みを堪能し、大広間若干横になり休息。大広間横に展示中の旧国鉄興浜南線・雄武駅の記念展示をな
  がめる。大きな駅名板、構内配線図、さよなら列車のサボ等を興味深く拝観する。
   17時半すぎに出発し、15分程度で興部町の宿に到着。1年ぶりに訪れた宿に「こんばんは、お世話になりまーす」と声をかけながら
  入っていけば、待望の夕食は目の前である。
      
 
   本日の宿泊先: 興部町・ペンション鈴木屋宿詳細頁へ

   本日のお献立
    □ 小鉢2品、酢の物、造り(ホッキ貝・鮭・ホタテ・他)、焼タラバ(大皿一杯)、ズワイガニの刺身&茹タラバ、焼タコ(真蛸)、タコのあらい
      タコの唐揚げ(足吸盤)
生ウニ、ズワイの甲羅焼き、毛蟹汁、握寿司6カン、デザート・メロン&興部アイス
     ※料理画像は(写りが悪いのはご容赦を)⇒こちらから

   本日の走行距離: 361.2km(延べ1447km)
                                                                         最終更新2002.11.9
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