2002年8月旅行記・特別編

旧羽幌・築別炭鉱訪問記


訪問:2002年8月5日

  かつて「炭鉱王国」として日本の産業を支えた北海道には、既に閉山された炭鉱=「ヤマ」が随所に存在している。
 夕張空知各地の炭鉱跡、今も細々と採炭を続ける釧路・太平洋炭鉱などは今でも何かと話題にのぼることも多い
 が、多くの旧産炭地に存在する
炭鉱跡(廃鉱)はひっそりと自然に帰る日を待っているといった状況である。
  昨今、このような旧炭鉱施設等を「
産業遺跡」と捉えて保存」「継承」していこうという動きが道内各地でみられること
 は喜ばしい限りである。かつは殷賑を極めた「ヤマ」の街の今昔を懐古しながら北海道開拓の明暗両面の歴史とそこに生死した
 人々に思いを馳せることは有意義なことであると思うからである。
  という訳で以前から興味をもっていた、北海道西北部(道北)・羽幌町の東部の山中に存在した「
旧羽幌・築別炭鉱」の跡地を
 訪問してきた。なにぶん、閉山から30年が過ぎているのでその「遺構」といっても限りがあるが、まだまだ一見の価値のあるも
 のが残されていた。



  ◆ 旧羽幌・築別炭鉱について

   日本海に沿って留萌から北上すること約50km、「日本海オロロンライン」の中心地として、また離島「天売島・焼尻島」へ渡る
  拠点としても知られる
羽幌町がある。 この町の東部約16Km離れた山中に、かつて人口約1万2000名を数え、殷賑を極めた
  
「炭鉱=旧羽幌・築別炭鉱」は存在した。炭鉱は
築別炭鉱」「羽幌炭鉱」「上羽幌炭鉱」という三つに「鉱区」に大別されており、
  国鉄羽幌線の築別からは曙を経由して築別炭鉱に至る「
羽幌炭鑛鉄道」が運転されていた。(上図@〜B〜Dに至る鉄道)
   国のエネルギー政策転換により、昭和45年に閉山。閉山後は羽幌町が学校跡を利用した宿泊施設を築別炭鉱地区に開設し
  ていた時期もあったが現在ではほぼ無人化している。
 

  ◆ 訪問記

  訪問当日は、初山別からR232を南下して、上図の「第一栄」から道道・築別
 天塩有明線で築別炭鉱まで前進しようと計画していたが、築別天塩有明線を
 2〜3キロ行ったところでどの地点からは不明だが「通行止」の看板を見たため
 急遽、
築別(上図
@)からの道道356号「築別炭鉱築別線」を使うこととした。
  ほとんど無人の廃鉱に向かう道にしては全面舗装の立派な道道である。


  【写真左:道道356号・築別炭鉱築別線を走る

  道道356号「築別炭鉱築別線」は、かつての「羽幌炭鑛鉄道」の廃線跡が
 平行しており、沿道随所でその遺構である鉄道橋の橋桁が見られる。
 (上図
Aの地点など)

  「羽幌炭鑛鉄道」は、この先の曙から築別炭鉱まで伸びていたが、戦後には
 
旧国鉄「名羽(めいう)線」
曙から羽幌炭鉱のある三毛別地区を経由し、
 羽幌二股ダムから天塩の大山系に入り、旧国鉄深名線・朱鞠内経由で宗谷
 本線「
名寄」までを連絡する路線として計画・建設された。
  曙〜三毛別間は未開業路線として先行開通し羽幌炭鉱の石炭の輸送に
 使用された。その先の部分も山岳鉄路としてかなりの工事進捗(高架路盤やト
 ンネル)を見たが、炭鉱の閉山により建設は中止され、その遺構の多くは現在
 でも羆が出没する無人の天塩山系の中に放置されている。


  【写真左:道道356号・築別炭鉱築別線沿いの鉄道遺構

  道道356号「築別炭鉱築別線」での分岐に至る(上図Bの地点)。
 ここを直進して築別炭鉱方面に向かうが、後ほど羽幌方面への道(道道741号
 上遠別霧立線を進むこととなる。
  曙はかつての中心的な町で「旧曙小学校」の跡や「旧曙駅の遺構」が残って
 いるようだが今回は確認するに至らなかった。


  道道・築別天塩有明線との分岐に至る(上図Cの地点)と写真下↓の道路
 標識が
あるが、築別天塩有明線側はゲートで封鎖されており写真左のとおり
 全区間通行止で、
この地点から「第一栄」まで通り抜けすることはできない。
 
            

 道道・築別天塩有明線と方向と反対側に右折して細道を入っていくと、遺構の第一弾として「旧太陽小学校」の校舎と体育館が
 あらわれる。
  2〜3年前まで町営の
宿泊施設「はぼろ緑の村」として利用されていたので保存状態は比較的良好であるように見えたが、校舎
 1階の入口の硝子は破壊されていた。写真下↓は車の中から撮影したもの。写真では判らないが周囲はもの凄い「
バッタの大群
 と一見蜂のように見える
巨大アブ軍団に重包囲されており、車外での撮影は身の危険を伴うため断念したのであった。
              
          
                    【校舎】                               【体育館】

  道道に戻って前進すると左側の見えてくるの左写真の第一選炭工場跡
 建物である。屋根部分等は当に崩壊しているが、遠目には偉容を放つ存在
 である。周囲の下草類が枯れている春・秋に訪問すれば内部も観察できると
 思われるが充分慎重な行動が望まれるところである。


  ここからさらに前進し橋を渡るところから右手に
巨大煙突が目に入ってくる。  (上図D付近) 写真下左↓の病院跡の反対側、右手に再度橋を渡って進む
 と、かつての炭鉱の中心であったところである。 朽ち果てた「
消防署跡」や
 
写真下右↓のアパート群が目を引く。このアパートは当時(昭和40年代前半) としては珍しく水洗トイレが完備されていたというものである。当初再利用が図
 られたこともあってか保存状態良いほうではなかろうか。

 【写真左:築別炭鉱・第一選炭工場(ホッパー跡)】
            
                
    
                     【病院】                            【4階建アパート群】

  築別炭鉱地区から羽幌炭鉱方面向かうため、曙まで戻ると前述した分岐点
 (上図B地点)に至る。写真左の道路標識に従い左折して築別川の橋を渡り、
 道道741号・上遠別霧立線を南下する。
 








  【写真左:曙の分岐点】
            

 羽幌鉱区の現状(上図E付近)。道道・築別天塩有明線右手方向に「第二選炭工場跡と「運搬立坑」が見える。付近には住宅跡
 給油所遺もあ るが相当に朽ち果てた状態である。このあたりも道路のアスファルトの上は「バッタだらけ」であったが決死の覚悟で
 車外撮影を敢行した。
                  

                  【第二選炭工場跡】                         【運搬立坑跡】
  

 上羽幌鉱区では炭鉱施設の遺構は見られないが、炭鉱住宅が若干残っている。現状(上図F付近)。この付近にはまだ農家が残
 っているためまだ人の気配が感じられる。

 ここで道は、道道747号・上羽幌羽幌線となって羽幌市街方向とさらに東の奥・羽幌二股ダム方向(上図G方向)に別れる。
 二股ダム方向は途中で一般車両通行止となるが、旧国鉄名羽線の道床が砕石会社のトラック専用道路として続いている。これを進
 めば更に奥・羽幌二股ダムの工事用旧林道に至るが、そこは天塩山地の最深部・ほとんど人外の地である。

 上羽幌から羽幌市街方面に向かえば、炭鉱跡訪問も終了である。今回、時間の都合などでゆっくりと探訪すろことができなかった
 部分は、次回改めて再訪したいものである。想像以上に大きな遺構が残っている羽幌・築別炭鉱であるが当面の保存の計画も耳に
 しない以上、この先の運命は明らかであろう。(ただ積極的に破壊するとい手間もお金もないだろうが) ご関心のある向きには早め
 の訪問をお薦めする。

 以上