北海道・旅の記録(2002年)

2002年8月2日(金)〜10日(土)・本年第3回(通算第28回)
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  ■ 第七日目/8月8日(木 養老牛〜裏摩周展望台〜神の子池〜仁伏温泉〜弟子屈〜鶴居〜直別〜昆布刈石〜十勝川河口〜帯広
  天気:曇り時々雨、肌寒し。

  「からまつの湯」から「裏摩周展望台」へ

   昨晩、シマフクロウ観察後に深夜の露天風呂に行ったのだが、朝食前にまた一風呂あびてみる。横を渓流の流れる露天風呂に
  つかっていると正に別世界である。今日もまた天気は悪く肌寒いので、ロビーの暖炉に燃える火が嬉しい。まったく今は8月だとい
  うのに・・・・・・・。ついつい食べてしまう充実した朝食を済まし、シマフクロウ観察でごいっしょした札幌在住の方にご挨拶を済まし、
  駐車場まで当方の客室担当であった女の子と飼犬の「イチコ」にお見送りしていただき出発である。次回はまた来夏か・・。
  
  
   養老牛温泉街の奥からダート道になる道道505号
  養老牛計根別停車場線に進入し有名な秘湯「から
  まつの湯
」に立ち寄る。入浴は省略したが既に夫婦
  連れが1組入浴した後のようであった。
  ※「からまつの湯」については⇒こちらへ
   そのままダート道を前進すると途中道の舗装工事
  ルート変更工事が徐々に進んでいる現場が見られ 
  るのだが、3年前くらいからさほど進捗していないよ
  うな気がする。この道を急いで舗装化しなければなら
  ない理由はどう考えてみても思いつかない。既に雨
  も降り出しており、あたりも一面の霧で視界は悪い。
   無駄と知りつつ「裏摩周展望台」に向かう。清里峠
  で左折して展望台への登り道を進む。案の定、視界
  はほとんど無く非常に寒い。駐車場横の売店の寒暖
  計は16℃であった(体感的にはもっと寒いのだが


  ◆ 今日は・・・

   屈斜路湖畔で温泉につかる以外はひたすら十勝
  目差す長距離移動である。阿寒〜足寄〜士幌と経
  由するのが常道であるが、@荒涼たる十勝の太平
  洋岸
の光景が見たい、A帯広南方に若干の訪問目
  的があることから、右記のような大迂回ルートとなっ
  た。しかし天気が悪いのは前途の多難を予感させる
  ものであった。



【上図:本日の行程 (:出発地、:宿泊地、:ポイント)
  ◆ 神の子池〜仁伏温泉

  裏摩周から昨日通った清里・札弦に向け北上、途中「神の子池」に立ち寄る。
 かつて「ニュースステーション」で立松和平が潜り「久米さ〜ん」と言った穴場ポ
 イントも昨今は観光バスも入るメジャー観光地になりつつある。道道からのダート
 道は健在だがここが舗装化されたらヤバイなあと考えながら不思議なブルーの 水面を眺める。なんとなく年々水量が減っているように感じるのは気のせいであ
 ろうか・・・。
  神の子池から札弦経由R391に出て川湯温泉方向に向かい、温泉街から屈
 斜路湖畔・仁伏温泉で立ち寄り湯する。湯はかねてから気になっていた「根釧
 西部森林管理署仁伏保養所」である。詳細はこちらへ
 
  【 写真左:神の子池の神秘的なブルー 】

   ◆ 屈斜路湖から太平洋へ(仁伏温泉〜弟子屈〜鶴居〜山花〜大楽毛)

    温泉で小1時間まったりした後12時半前頃出発。ここからひたすら最短距離で南下して太平洋岸に出て海岸沿いを十勝川河口迄
   進み、帯広の南端まで向かう。時間も押しているのでとにかく先を急ぐ。弟子屈市街から道道53号釧路鶴居弟子屈線に入って丘陵
   地帯を抜ける快適な道を走り、標茶町・中御卒別西方でR274号に合流。釧路湿原の北側外縁部を回り込んで中久著呂の西で鶴居
   に入る。このR274が全通すれば内陸部を鶴居村〜阿寒町と貫通して白糠町二股でR274の既開通部分につながり、浦幌町北部
   を経由して、本別町市街でR242と合流し、池田町から十勝中心部に至る動脈となるのだが未だ未完成である。十勝〜釧路を結ぶ
   R38号は交通量も多く、平行する抜け道も無いことからこの内陸部の道ができるといいなあと思うのだが・・・・・。
    鶴居村支雪裡第二で道道53号に入り、鶴居市街へ至る。このまま釧路湿原の西側をこのメイン道路を南下して釧路市街西方に
   出るのが素直なのであろうが、気分的にすこしでも十勝方面に近づくため鶴居市街から道道53号の西側の細かい道に入っていく。
    鶴居市街から道道829号で中幌呂〜道道243で阿寒町側に入り中仁々志別、道道666号徹別原野釧路線で釧路市内山花まで
   進み釧路空港の先でR240号に合流。鶴居からここまでの道ではほとんど車を見ないで進んできたがここからは大楽毛経由で交通
   量過多のR38に入っていくのは気が重いことである。
 

   ◆ 大楽毛〜十勝へ・・・(1) 
     ※8日はここから「写真」がない。天候の悪化と若干のトラブルで撮影する気になれなかったのである。文字ばかりに
      なって誠に遺憾であるがご辛抱をお願い致したい。


    R38が白糠町に入ってすぐの地点にある道の駅「しらぬか恋問」で小休止。ここで有名な道の駅の駅弁「豚丼」を購入しようと思
   ったのだが調理に10分以上かかるとのことで、先を急ぐ我々はこれを諦めさらに前進。なんとか16時までに帯広市・清川という場所
   までたどりつかなければないらない我々には10分と云えども余裕が無いのであった。さて、その清川には何があるのか???。
   (これは同行者E氏の強い要望なので自分的にはさほど執着が無いのだが・・・・・)
   

   ◆ 大楽毛〜十勝へ・・・(2)

    白糠町から音別町に入り音別市街〜尺別〜直別と似たような名前の街を通過していく。直別のすぐ先から隣りの浦幌町に入る。
   この浦幌町からが「十勝」管内である。R38は浦幌町に入ってすぐ内陸部に向かいそのまま十勝地方中心部に向かうが、我々は
   さらに太平洋沿いの道をとるべく厚内に向かう道道1038号直別共栄線に入って行く。約4キロほどで海岸沿いの道となり、周囲に
   何も無い日本離れした荒涼たる光景が続く。JR根室本線も厚内駅までの区間でこの道に平行しており、こちらからの車窓風景も
   また壮絶なものがあるので是非一見されたい。厚内を過ぎるといよいよ人の気配の無い地帯となっていく。左手は夏とは思えない
   暗い色をした太平洋(天候が悪いせいもあるが)、右手は低い丘陵地帯の連なりでアイヌのシャチ(砦)の遺跡などが見られる。

    十勝川河口まで半分くらいの地点・昆布刈石に到着。行く手には「一車線」しかないトンネルが・・・・。上高地手前の「釜トンネル」
   みたいなものである。もっとも交通量は極めて少ない(というかほとんど無い)が、トンネル内ではちあわせとなると面倒なので確認
   のうえ慎重にこの短いトンネルを通過する。
    と、トンネルを出た先はダート道であった。このあたりからが益々深くなり周囲の風景はほとんど視認不可能となった。道道は
   この先で登りながら内陸部に入り、浦幌町吉野共栄方面に向かうのだが(霧止峠附近以外がほぼ舗装道路)我々は分岐を左に
   取り、ややきつい登りのダート道をこのルートを取る目的のひとつであった「昆布刈石展望台」まで登る。晴天であればこの地点
   から、遥か襟裳岬までを見通す雄大な景観を見ることができるのだが如何せん霧の中である。さらにほとんど誰もいない不気味さも
   あって早々に前進を開始する。(拉致の恐怖が)
  
    浦幌川の手前、十勝太附近から道はダートと舗装道が平行するという不思議な道となる。現在、R336が十勝川河口方面から
   十勝太以東方面延伸するかたちで舗装化が進行中であり、このための工事の都合でダート・舗装平行区間が出現しているようだ。
    舗装道に乗り変え浦幌大橋手前までくれば立派な国道仕様の道となって、ここまでの荒涼としたダート道の風情ともお別れである。
   淡々とした気持ちで浦幌大橋を渡り、R336の吉野共栄・十勝太分岐点を過ぎれば「十勝川河口橋」が目の前に現れた。

 

   ◆ 霧の十勝

    霧の十勝川河口橋を渡る。この附近、十勝川河口〜海岸沿いは十勝開拓の拠点となった処であるが今は人影も疎らな寂しげな
   土地となっている。今日の天候はその寂しげな光景を一層際立たせているように感じた。
    この十勝の風景・歴史を見事に表わしている一文を引く。

   
   
□ 十勝川
    「この川がなかったら、十勝開拓の歴史もまたちがった道をたどっていたにちがいない。十勝平原を開拓した人々は、皆この川
    の河口の大津で便船を捨て、そこからこの川の流れに沿って歩くか、アイヌの人たちの漕ぐ丸木舟によって、奥地へ奥地へと
    土地を求め、葉脈を伝って入植したのであった。 〜中略〜 明治四十年、狩勝の国境を汽車が通ってからは十勝川の道として
    の使命は
終わり、船繋りのよくない港町大津は、わずかな漁業の町として海岸に取残されてしまった。〜いま十勝川は十勝開
    拓の歴史を秘めたまま、静かに流れつづけているだけである。」

    
□ 濃霧の十勝海岸
    「何処まで行っても、灰色の霧とにぶい波のうねりの音だけだった。いくら歩いて行っても、前にも後にも人影がないばかりか、
    一日中歩いて私の出会った生物は、沼に眠っていた三羽の鴨だけだった」。戦争中、十勝海岸を歩いたときの私の日記の一節
    である。 〜中略〜 国鉄根室本線が開通するまでは、ここは十勝の表通りだったので、明治三十五年(1902年)博徒の縄張
    り争いから、十勝河口にあった大津警察署に殴りこみをかけ、護送中の反対派の親分を警察で切り殺すという血なまぐさい、大
    津事件として全国に報道された事件〜略。」

    
出典:更科源蔵著 「北海道の旅」 新潮文庫・昭和五十四年七月発行
   

    十勝川を渡った川の河口部に今も「大津」という地名はあるが、海岸の一漁村となってしまった現在の姿には、かつて十勝の入口
   としての繁栄を偲ばせるものは何も無い。

    道は湖沼の多い海岸線を離れ内陸部よりに十勝中心部へ向かい。我々も中札内から清川に向かい先を急いだ。海岸から離れる
   につれて天候は持ち直してきたが相変らず雲の多いどんよりとした空模様である。
 

   ◆ 清川〜帯広市内  この違和感、この痛さは・・・・・

    周囲の景色も気にかけづ必死に走って清川の目的地についたのはリミット1時間前の午後4時ごろであった。
   清川での目的は超有名ジンギスカン店「白樺で自慢の味を賞味するためであった。が、無念にも店は既に「閉店」
   一気に脱力感に襲われ、店前にへたり込むE氏(笑)。その胸中に去来するものは何であろうか・・・。
    確かガイド等には午後5時まで営業となっているのだが、、、。そこで向かいのガソリンスタンドで店番しているオジサンに聞いてみ
   ると・。「肉が切れるとすぐ店じまいする。〜ここのところは2時頃には閉店しているようだ・・・云々」 我々の完敗であった。
    人気店とは知っていたが、完全な「リサーチ不足」であった。固く再訪を誓い、虚ろな表情のE氏を督励し帯広市内に向かう。
   
    未だショックから抜けきれない感じのE氏を励まし、とにかく「何か食べる」べく、帯広駅前の地下駐車場で車から降り徒歩で六花亭
   本店に向かい、今回始めて足を踏み入れる2階「喫茶室」へ。いつも1階の売店でお土産を物色したり、ケーキなどを買ってサービスの
   珈琲を飲みつつ、その味を賞味するだけなので、2・3階の「喫茶室」入場は永年の課題であった。 今日は甚だ不本意な形ではある
   が宿願を果たした格好である。 ピザやパフェを賞味して満足していると・・・どうも当方の口の中に違和感が・・・・・・
    どうも「喉に小骨が刺さった」のと同様な感覚で、飲みこむをかなりの激痛を伴ってくる。六花亭の食い物に小骨などあろうはずも無
   いが、あまりの痛さにとりあえづ店を出る。 近所の薬局で小骨退治用にと「ピンセット」と消毒用に「イソジン」、「脱脂綿」等を買い
   今日のお宿へ向かう。チェックインして部屋に案内され、客室係りの女性が退去するや否や、部屋の洗面台の鏡前で大口をあける。
   
    E氏に部屋の備え付け「非常灯」である懐中電灯(所定の位置から外すとスイッチオンになるタイプのもの)を持ってこさせ、喉奥を
   照らして探査すると、「何か骨っぽいものが明かに刺さっている」のである。慎重にピンセットで「その物体」を挟み、ゆっくり手前に引
   くと、「刺さったものが抜ける」感覚が明瞭に感じられる。口中から目の前に出されたピンセットの先端には長さ1センチ超の小骨が
   挟まっている。傷からの出血もあるのでやや多量のイソジンで丁寧にうがいを行い、自己治療は終了。
   この間E氏はあまりのことに笑いを発していたが、当人にとってはまさに死活問題である。
    何処で挟まったものであろうか? 岩内の宿で朝食を食べていた時に似たような違和感を感じたのであるがすぐ解消したので放っ
   ておいたのであるが、それが今頃になって出てくるのか??。謎は深まるばかりである。

    宿で暫時休息後、改めて帯広駅まで出て軽くラーメンを食べ、夜食用に「柳月」でケーキを買い宿に戻る。あまりすることもないため
   宿の温泉につかりケーキを食べ呆気なく就寝。何か不完全燃焼な一日であった。
 
 
   本日の宿泊先: 帯広市内・北海道ホテル宿詳細頁へ

   本日のお献立 
   ラーメンのみすず
【帯広市西2南8(広小路) 0155-23-4706】でラーメンを食す。
    醤油ベースのスープであるが一般的な味とは異なる独自のスープである。味つきのネギのピリ辛味がなんとも言えない風味で
   食欲を高める。今まで食した経験の無い独特の味だが、「奇を衒った」のとは違う非常に馴染み易い味で大変気に入った。店の外
   見は喫茶店のような感じなので入りにくいかもしれないが、接客は非常にしっかりしており感心できる。
   偶然の発見ながら、管理人かなり推奨!!。六花亭本店2階喫茶室で、ピザ、パフェ、ケーキを食し、さらに上記のトラブルがあ
   ったため重い食事を敬遠したためラーメンにしたのであっただが、偶然入った
「みすず」は大当たりであった。

   本日の走行距離: 362.0km(延べ2497km)
                                                                         最終更新2003.2.1.
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