前日の8月5日に「旧羽幌・築別炭鉱」の跡地を訪問した翌日の6日、これもかねてより興味を感じていた「鴻之舞鉱山(こうのま いこうざん)」の跡地を訪問した。こちらは昭和48年閉山の金銀鉱山の遺構である。事前の調査不足で大きな遺構の場所・現状 については情報の無い状況での訪問となったため道道沿線で目に付いた物件のみしか確認できなかった。それにしてもかつて 「東洋一の金鉱山」とをいわれたこの地域の現状を目の当たりにできたのは収穫であった。 |
◆ 旧鴻之舞鉱山について オホーツク海沿岸の中心的な町である「紋別市」から南の山中に約30km。道道305号紋別丸瀬布線の先、丸瀬布町・遠軽町 との境附近にあった住友財閥所有の鉱山が「鴻之舞鉱山」である。 オホーツク海沿岸にゴールドラッシュの起きた明治期後半から若干遅れる大正4年に個人の山師によって発見され、発見者の グループにより採掘されていたが、大正6年に住友財閥の所有に帰し、太平洋戦争中の一時操業中断を経て、戦前から戦後前半 にかけて「東洋一の金鉱山」として繁栄をきわめたが、採掘量の減少により昭和48年閉山となった。現在でも住友鉱山の所有下 にあり残存施設(鉱毒の沈殿池等)の管理などのため現地事業所がおかれ管理されているが、かつて鉱山関係者で賑わった鴻之 舞の街の遺構として残るものは少ないようである。 住友鉱山側でこの地を産業遺跡として整備する構想もあると聞いており今後の動向が注目されるところである。 昭和46年末までの総生産量は 金 64,281 Kg、銀 952,103 Kg に達しており、一つの鉱山としては日本最大のものとのことで あるいわれる。 ※鴻之舞鉱山に関する素晴らしいサイトはこちらへ⇒鴻之舞・今昔写真集 |
◆ 訪問記 |
西興部から滝上に至り、R273渚滑国道を北上、「上渚滑・旭」附近から 右折して道道553号へ入り10kmで道道305号紋別丸瀬布線に合流。ここか ら鴻之舞附近までひたすら南下する。 快適な舗装道路であるが「築別炭鉱」の時と同様(というよりそれ以上)他の 車の姿を見ない。周囲の山・緑がさらに濃くなってくると下記の道標が現れた。 既に実質的には存在しない町の名前を目にすると、なんとも言えない期待感 と感慨が去来するのは私だけであろうか。そんなことを考える当方の横にいる 同行E氏は既に羆の存在の有無に感心が移ったようである。 【道道305号・道標】 【写真左:鴻之舞周辺略図〜鴻之舞からダートの金八峠を抜けて丸瀬布へ】 |
【鴻紋軌道 路線遺構・1】 |
目的地が近づいてまづ目に入る遺構が、道道305号を跨ぐ「旧鴻紋軌道」の 橋梁である。「旧鴻紋軌道」は資材と鉱石の運搬のために紋別まで建設され た軽便鉄道路線だが実質的には戦後の非常に短い期間のみ使用された鉄道 である。道道を跨いでそびえる姿に歴史を感じる。写真は別の位置から遺構 を撮影したものであるが、軌道遺構は道道両側の深い森の中に続いており、 他の誰も通らない道道横で撮影するのもやや不気味な感じであった。 ※旧鴻紋軌道 昭和18年開通・昭和19年鉱山一時閉山により休止 昭和23年鉱山再開により復活・昭和24年廃止 【写真左:道道356号・築別炭鉱築別線沿いの鉄道遺構】 |
【鴻紋軌道 路線遺構・2】 【鴻紋軌道 路線遺構・3】 |
道道305号をさらに南下すると左側に住友鉱山の事務所を確認。あまり迂闊 な探索は世間の迷惑になるのなあ等と考えていると、左側に「鉱山慰霊碑」の ある広場が見えてくる。車を降りて慰霊碑に一礼する。広場の右手脇に写真 「鴻之舞鉱山跡」の碑がひっそりたたずんでいた。 広場はとても綺麗に整備されていたのが印象的であった。 【写真左: 鉱山慰霊碑の広場にある「鴻之舞鉱山跡」の碑】 |
【遺構1】 【遺構1の拡大画像:住友の代紋を確認】 |
かつての鴻之舞の街の中心附近に近づいてくると、道脇にかつての「町名」 書いた案内板が立っている。 植物が繁茂しているこの季節には、道から確認できる遺構にも限りがあるよ うであるが、「住友」のシンボルマークを残した建物(道右側)や鉱山職員の住 宅遺構と思われる建物群を森の中にみることができた。 【写真左: 道道の左右にかつての「町名」を記した案内板が立つ 〜喜楽町跡 紋別鴻友会】 |
【遺構2・集合住宅群か?】 【遺構2・別角度から】 |
この後、我々は道道305号紋別丸瀬布線をそのまま南下し「金八峠」を越えて丸瀬布に抜けたのであるが、この道はかつてJR石北 本線が開通した際に、鴻之舞と石北本線沿線を結んだ道で路線バスが丸瀬布まで走っていた時期もあったようだ。 ※追記 2002年10月の北海道新聞の報道によれば紋別の「文芸オホーツク」という雑誌がその11月号で「鴻之舞特集号」を発行したところ 初版700部をたちまち完売し、増刷するするほどの反響を呼んでいるという。かつての住民の方等の購入も多いと思われるが、この 反響の大きさは「北海道の産業遺跡とその歴史」に関する一般の関心の高まりを示すものではないであろうか。 斯く言う管理人も増刷分を購入申込み(発送は12月以降)済みであるので、読後にはこの訪問記の内容にも反映させていきたいと 考えている。 |